【15】藤原宮 大極殿院の東北角地調査
奈良文化財研究所都城発掘調査部から、藤原宮大極殿院調査の現地説明会の案内がメール配信されてきました。昨年(2017年)から登録しており、何回か現地調査の案内メールがありましたが参加できず残念に思っていたところ、今年3月3日は何の予定もなく参加ができたのです。
今回の発掘調査は、タイトルにある如く藤原宮(近鉄大阪線耳成駅より徒歩25分)の大極殿院の東北の隅の部分です。大極殿院の東面回廊と北面回廊の接続部にあたります。
(左が写真1/右が写真2)
写真1が現地説明会のあった藤原宮跡の全景であり、写真2が現地説明の様子ですが、発掘現場を囲んでたくさんのファンが参加していることがわかっていただけると思います。幸い気候・気温に恵まれて、いわば現地説明会日よりでした。
今回の調査は第195次調査とされており、説明によると、大極殿を囲んでいる回廊のうちの東面回廊の南側は複廊であったことが過去の調査で確認されていましたが、北側でも同様に複廊なのかの確認を目的としていたとのことでした。
ちなみに大極殿とは、天皇の座れる高御座が据えられ、国家的行為が実施された宮殿の中での中心的施設であり、平城宮跡に復元されている大極殿を見た方は多いでしょう。回廊はその周囲を囲んでいた廊下のことです。
その廊下部分は屋根付きで、廊下として一本の場合は単廊、二本の場合は複廊と称しています。
発掘現場に即して言いますと、単廊では屋根を支える柱の突の跡が2本ですが、複廊では柱突の跡が3本になるので、これによって両者を区別することができます。
下の写真が東側回廊部分で、分かりにくいですが柱突が3本なので複廊と確認されたとのことでした。
さて、藤原宮は、694年から710年までの僅か16年間しか営まれなかった宮殿ですが、都城としては日本初のもので、持統天皇が造営し、文武、元明の三代にわたって利用されました。宮殿が中国と異なり、京の中心ではなく北部に設けられていたので、中国での宮殿の位置を知って、平城宮の造営となったとされています。