【10】謎の巨石・益田岩船
2012.03.20
徳井義幸
近鉄吉野線岡寺駅から南西に歩くこと約10分、岩舟山の頂上近くの斜面に写真にある如き謎の巨石がある。幅11m・奥行8m・高さ5mで、重量は推定で100トンを超えるらしい。巨石の前の私と対比すればその巨大さが歴然としている。「益田岩船」と呼ばれている。
なんとか巨石の上に登れないかと頑張ったが途中までしか無理であった。途中まで登ってカメラ撮影をすると空に向かって2つの四角い穴の入口が撮影できた。
降りるのにも苦労したが、なんと巨石から降りてみると草の合間に「危険登らないで下さい」との看板が見えた。もっと目立つところにおいといてよ。
四角い穴は人工的なものであることは明白である。この巨石はいったい何なのか。諸説紛々で、江戸の寛政年間の「大和名所図会」にもスケッチが残っているらしい。
諸説の中でも最も興味深いのは「刳抜き式石棺式石室」説だ。以前紹介した斉明天皇の墓とされる「牽牛子塚古墳」(斉明と間人皇女の合葬)の石室が「刳抜き式石棺式石室」で、この巨石を90度横に倒したものと全く同じ形なのである。四角い穴2つは、遺体をいれたお棺2つを納棺する部分である。要は、巨石に2つの四角い穴を刳り抜いて納棺部分とした石室だ。しかも、「牽牛子塚古墳」とこの「益田岩船」は7~800mしか離れていないのだ。
ちなみに四角い2つの穴の深さ1.3mとのことで、お棺を入れるには短過ぎる状態である。しかし巨石には何本かの亀裂が見られる。そこで、制作途中で亀裂が入ったので完成をあきらめて途中で放棄したのではないか、そのうえで改めて「牽牛子塚古墳」用の「刳抜き式石棺式石室」を作り直したのではないかとの考えが説得力を持つことになる。
日本の文化は木の文化といわれることがあるが、古代日本では石の文化の要素も強力なんですね。