【14】築山古墳 - 周濠に遊ぶ不気味な赤目の亀さん
近鉄大阪線築山駅から徒歩約5分の所に「築山古墳」があります。
墳丘長が210メートルの大型の前方後円墳です。築造年代は4世紀末とされています。駅から「築山古墳」に向かって歩いていると、道端に周辺の地図を描いた看板がかかっていました。看板には「築山古墳」のことを「武烈天皇陵」と記載してあります。
「武烈天皇」といえば日本書紀に異常行動を記されている応神天皇から数えて7代目の大王です。子がなく跡継ぎがいなかったため、有名な「継体大王」が大王家に婿入りして、皇統を引き継いだとされています。書紀に記された「武烈」の異常行動は常軌を逸したもので、例えば妊婦の腹を割いてその胎児を見る、人を樹に登らせて弓で射落とす、女を馬に姦淫させて楽しむ等の暴虐の限りを尽くしています。その実在性については大きな疑問がもたれている大王です。
ところで、古墳のそばまで行くと、例によって宮内庁の管理を示す看板が立てられていましたが、天皇陵に指定はされておらず、「陵墓参考地」とされていました。宮内庁は「武烈陵」としては別途に香芝市大泉の小丘を指定しています。
これは、古墳ではなく自然の丘陵にすぎないと学説では言われており、宮内庁の陵墓指定の誤り・虚構の典型とされています。実は、徳川時代の有名な山陵家・蒲生君平が「築山古墳」こそ「武烈陵」としていましたが、その後明治になって宮内庁が「武烈陵」を大泉の小丘としたため、こんなことになっています。しかし、地元では徳川時代の指定が未だに正しいとしているのでしょうか。
古墳の周濠をみてみると、何とゴミや廃棄物がうようよと浮かんでいるうえに、亀が沢山、泳いだり甲羅干しを楽しんでいるではありませんか。手をたたいてやると皆でそばに寄ってきます。さて顔を見てみると、何と皆赤目の亀で、なんと不気味な様子です。赤目の部分が妙に目立って、見ていると不気味どころか次第に「武烈」の暴虐が思い浮かんできます。ああ恐ろしや、恐ろしやで、退散しました。