【8】今城塚古墳(真の継体天皇陵)~埴輪祭祀場見物記~
2011.08.17
徳井義幸
前々回はニコニコ埴輪を紹介しましたが、埴輪といえばやはり今城塚古墳(高槻市郡家新町・JR摂津富田駅下車)ですね。
相撲の力士や巫女、武人等の人物埴輪や水鳥、牛等の動物埴輪、さらには建物を象形化した家型埴輪等と埴輪のオンパレードです。しかも当時のままに古墳の側面にある65メートルにおよぶ埴輪祭祀場に埴輪の配列が復元されています。写真ではわかりにくいですが、埴輪の配列は4区に区画されており、色々な場面を埴輪で現していたようです。
ところで、この今城塚古墳は珍しく宮内庁が管理していない天皇陵として有名です。宮内庁は、この今城塚古墳から西方にある茨木市の太田茶臼山古墳(5C半ばの築造) を継体天皇陵として誤って指定してしまいました。従って、今城塚古墳は天皇陵ではないとして宮内庁の管理下になく、その結果、市民がその墳丘上にも立ち入ることのできることになったのです。
写真は、墳丘上を歩く私の後ろ姿です。
そして現在では史跡公園として整備され、市民の憩いの場になっているのです。
継体天皇が即位したのは西暦507年で、亡くなったのが531年ですから、古墳は6世紀前半頃の古墳ということになります。宮内庁による天皇陵古墳の指定間違いは、たくさんあるのですが、その典型的な例です。しかし、そのおかげで天皇陵古墳の実態の解明に大きく役立つ結果となっています。
継体天皇は「謎の大王」と言われていますが、その出自が5Cまでの大王のようにヤマトではなく、福井県あるいは滋賀県であったと「記紀」に記され、応神天皇5世の孫とされていることから、実際は従来の大王家とは異なる系譜の地方の大豪族かとの考えもあります。
まあ一度散歩におでかけ下さい。