原子力発電所と平和的生存権
福島第一原子力発電所の事故は、私たち日本人に対して、これからの日本社会のあり方をどうするのかという重大な問いかけを与えています。最終的には私たちがこれからどのように人生を生きていくのかということを一人一人が真剣に考えなければならないのだと思います。
原子力(=核)という人間が制御できない物質を利用しようという点においては、原子力発電も核兵器も同じです。英語でいえば、前者は「Nuclear Power」後者は「Nuclear Weapon」です。核兵器は人為的に放射能をまき散らし被害を与えますが、今回の原発事故によって、原子力発電だって人為的な被害をまき散らすという点で核兵器と大差はないことを思い知らされました。
原子力(=核)を制御する努力を重ねて原子力(=核)との共存を目指すのか、それとも、原子力(=核)のない社会を目指すのか。
一方では地球温暖化が着々と進んでいますので、石油や石炭などの化石燃料に回帰することはできません。原子力発電にかわる代替エネルギーの風力や太陽光などは膨れ上がった人間社会の欲望をこれまでどおり満たすほどには十分でありません。
特に、関西電力は原子力発電の比率がもっとも高く発電量の約半分が原子力です。原子力のない社会にするためには、少なくとも今までの電力消費量を半分に減らさなければならないわけで、私たちの暮らしのあり方を抜本的に見直さなければならないでしょう。
平和とは、戦争のない状態だというだけでなく、貧困・不正・差別・抑圧などの状態がないことであるという捉え方があります(積極的平和といいます)。豊かさ、秩序、安全、正義、公平、自由、平等、民主主義、人権尊重、健康、福祉の充実、文化的生活、生き甲斐、環境保全なども積極的平和の要素だとされています。
子や孫の世代が平和に暮らしてゆける社会を残すためには、軍事的利用のみならず平和的利用も含めて、原子力(=核)とは決別する覚悟が必要ではないでしょうか。