未だに救済されない公害の原点・水俣病被害者の闘い
1.はじめに
今年は、公害の原点といわれる水俣病の公式確認(1956年5月1日)から60年の節目の年です。しかし、今なお未救済の水俣病被害者が多数います。現に熊本地裁(原告数1224名)、東京地裁(原告数⑥⑦名)、大阪地裁(原告数93名)において、多数の被害者が国・熊本県・チッソを被告とする国賠訴訟を提訴して、救済を求めています。
2.水俣病被害者救済特措法と被害者の切り捨て
チッソ水俣工場からのメチル水銀に汚染された魚介類を多食した不知火海沿岸に居住した住民は20~30万人とも言われています。しかし、これまでに何らかの救済を受けた者は、まだ6~7万人にとどまっています。水俣病の歴史は被害者切り捨ての歴史と言われます。「加害者が被害を隠しても、被害者はいつまでもたたかい続ける」のです。国と県の責任を認めた画期的な水俣病関西訴訟の最高裁判決を受けて、また全国で3000名近い原告が救済を求めて闘ったノーモア・ミナマタ第1次訴訟の闘いに押されて、国は水俣病被害者救済特措法(以下「特措法」)を制定し、被害者のあたう限りの救済を図るとした。
しかし、この特措法は大きな問題点を抱えていた。すなわち、科学的な被害に関する調査研究を抜きにして「指定地域」以外では汚染された魚介類の多食はないとして、被害者の切り捨てを図った。これは同じ魚介類を多食して症状もあるのに居住地が違うだけで、救済されないという大きな不合理を生んだ。また、チッソがアセトアルデヒド生産を停止した昭和43年5月を基準に翌年44年からは海の汚染は改善したとして、水俣病の発症を否定するという被害者切り捨ても実行されました。さらには、救済申請受付を被害者団体の抗議を無視して一方的に締め切り、未救済の被害者を意図的に作り出してしまったのです。
これらの新たな被害者切り捨てが、新たな闘いを生み出しているのです。
3.不知火海一円の健康調査・環境調査で恒久的救済システムの確立を
このような被害者切り捨てに屈せず、新たに恒久的な被害者救済システムの構築をするためには、不知火海一円の環境や住民の健康調査による被害実態の把握が必要にして不可欠の出発点です。今後の引き続くご支援をよろしくお願いします。