生存権と社会保障制度
漫才コンビ「次長課長」の河本さんの母親が生活保護を受けていたことに対して、自民党議員を中心に激しいバッシングがありました。「子どもが親の面倒を見ずに生活保護を受けているのはおかしい!」、「不正受給じゃないか!」と。片山さつき議員は、「本来刑事罰の対象になりうることだ」とまで発言しています。
しかし、いまの法律では、①扶養義務者が扶養義務を尽くすことが生活保護を利用するための要件になっているわけではありません。また、②親が未成年の子どもを扶養する義務は「強い」扶養義務ですが、成人に達した子どもがその親を扶養する義務は余裕があれば援助すればよいという「弱い」扶養義務とされています。③しかも、どれくらいどうやって援助するのかといった内容は、あくまでも親子で話し合って決めるべきものとされています。
これは、現在の日本国憲法25条で、「全て国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」という規定があり、すべての国民に生存権が保障されているからです。
ところが、自民党の改憲案第24条では、「家族は互いに助け合わなければならない」という規定が盛り込まれています。このような規定は現在の日本国憲法にはありません。
もし、このような規定が憲法に盛り込まれたとすれば、生活が苦しくなっても、まずは、家族で助け合うことが義務づけられるでしょう。先日、当事務所のすぐ近くの大阪市北区内で、お母さんと3歳の子どもが餓死している状態で発見されたという報道がありました。もし「家族は互いに助け合わなければならない」という規定が憲法に盛り込まれたならば、例えば夫のDVから逃げているケースで子どもに食べさせてあげることもできなくなって役所に助けを求めたとしても、「夫に扶養してもらいなさい」ということになるかもしれません。
自民、民主、公明の3党は、「税と社会保障の一体改革」について合意し、2012年8月に「社会保障制度改革推進法」を可決成立させています。現在、政府の設置する国民会議において急ピッチで議論が進められています。マスコミでは消費税増税のことばかりが取り上げられていますが、実は、そこでは、社会保障制度について大きな路線変更が検討されています。病気やけが、老齢や障害、失業など、個人の責任や努力だけでは対応できないリスクに対して、誰もが人間らしく生活していくことができるようにするのが社会保障制度の役割のはずです。生活に困っても自分でなんとかせよというのが「自助」、生活に困ったときには身内や知り合いに助けてもらえというのが「共助」。そうではなく、生活に困ったときには国や自治体が生存権を保障しようというのが「公助」です。いま政府が進めようとしている「税と社会保障の一体改革」では、「自助」や「共助」が強調され、「公助」が弱められようとしています。
子どもたちにどのような社会を残していくのか。そのことがいま私たちに問われています。