【3】卑弥呼の鏡か!? ~黒塚古墳の鏡~
2006.01.15
徳井義幸
さて、これまで2回にわたって、3世紀の前半から半ばの遺跡と思われる卑弥呼の宮殿跡や卑弥呼の箸墓を紹介しましたが、続いての訪問先は、卑弥呼に連なる4世紀初頭のものとされる「黒塚古墳」です。
JR桜井線の柳本駅を降りて東に向かうと、皆さんもご承知の「山辺の道」につきあたります。その手前に有名な崇神天皇陵がありますが、そこまで行くさらに手前にあるのが「黒塚古墳」です。
写真の如く周濠に囲まれた全長約130メートルの箸墓同様の前方後円墳です。この古墳を一躍有名にしたのは、後円部の石室内のお棺のそばから、何と33面もの大量の「三角縁神獣鏡」が出土したことです。
いわずもながら、「三角縁神獣鏡」は卑弥呼が魏に朝貢した際、魏の皇帝からもらった「銅鏡百枚」(魏志倭人伝)ではないかとされている鏡なのです。すなわち4世紀初頭という古墳の築造時期が卑弥呼に連なるばかりではなく、出土した「三角縁神獣鏡」も卑弥呼に連なっているのです。
すなわち、こんな推測ができます。
当時の倭の国では鏡は貴重品で、「威信財」であったから、卑弥呼は自分の勢力下にある首長層に分け与えて、従属の印としたというのです。もらった首長も大事に保管したでしょうが、自分が死んだ際には遺体と一緒に前方後円墳に埋めるようにしました。それが「三角縁神獣鏡」であるというわけです。
さて、「三角縁神獣鏡」の写真もつけておきますが、「三角縁神獣鏡」はお棺の外に置いてありました。ところがお棺の中には「画紋帯神獣鏡」という別の種類の鏡が1面いれてあったそうな。本当に大事な「威信財」の鏡であれば、遺体と一緒にお棺の中に置くのではないでしょうか?
古代遺跡は、次々と色々なことを語りかけるのです。