【4】奈良・明日香村 ~牽牛子塚(ケンゴシヅカ)古墳~
前回は4世紀の話だったので、次は古墳時代の全盛期5世紀の遺跡を思っていたところ、なんと2010年9月10日の新聞を見ると「八角形墳・巨大石柱が出土」「被葬者は斉明天皇」と大見出しが踊っていました。
一挙に7世紀後半の古墳時代終末期に飛躍するのも如何なものかと思いつつも、行ってきました奈良・明日香村「牽牛子塚(ケンゴシヅカ)古墳」現地見学会。
炎天下に1時間半待ちで汗だくでしたが、写真の通り石室を囲み石室を保護していたという巨大石柱を現認しました。また敷石の配置から確かに八角形墳であることも納得。古墳というと前方後円墳、前方後方墳、円墳、方墳等いくつかの形がありますが、八角形墳はその被葬者が7世紀中葉以降8世紀初頭までに即位した大王(天皇)に限定されるといわれます。八角形が天下八方の支配者にふさわしいという中国の政治思想の影響によるものらしいです。
ちなみに斉明天皇の夫であった現舒明天皇陵(櫻井市・段ノ塚古墳)も八角形の墳丘をもっているとのこと。
ところで斉明天皇は言うまでもなく元皇極天皇のことで、天智・天武両天皇の母であり、また大化の改新(645年)では、飛鳥板葺宮で我が息子の中大兄皇子(天智)が、皇位を狙っているとして蘇我入鹿を暗殺した現場に立ち会っていた女帝でもあります。確か黒岩重吾氏の小説などでは皇極天皇と蘇我入鹿はねんごろの仲として描かれています。それが事実であれば、斉明天皇は自分の彼氏を息子に暗殺されたということになります。
また斉明天皇の娘の間人皇女は、大化の改新で皇位についた孝徳天皇の后でありましたが、中大兄皇子と同母兄妹でありながら、男女の関係であったとも根強く言われています。
この「牽牛子塚古墳」には、この斉明天皇と間人皇女が合葬されており、日本の古代国家の形成過程での2人の女性の悲しい人生が埋め込まれているようです。